建築デザイン・住宅設計・リフォームなどを手掛ける今井氏。私の高校時代の同級生でもある。彼は、どんな仕事道を歩んできたのだろう。大阪府泉大津市のE's カフェでお話を伺った。
高校時代からの甘いマスク、とろける笑顔は健在だ
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今まで
22歳 |
金沢大学工学部建設工学科 卒業 |
35歳 |
独立 1級建築士事務所 設立 |
39歳 |
イマイクリエイト株式会社入社 |
45歳 |
いっぽ
大学から、建築の道へ・・・
大学は、工学部建設工学科で学びました。土木工学科が別にあったため、漠然と「建築をするのだろう」と思って入学したのですが、実際には、土木と建築の中間の位置づけ。入学して改めて気づいたわけで、明確に「建築」志望だったわけではないですね。
4年生の就職を考える時期。当時は大学研究室に求人票が届き、学生が行きたい先を選ぶと、形式的な選考試験はあっても、それでほぼ決まるという状況でした。土木就職を決める学生もいる中、私は、大手建築ゼネコンに決めました。建築設計の仕事をしたいと考えたからです。建築への強い思いがあったわけではありませんが、思い返してみると、小さいころから、住宅の間取り図を書いたり、住宅のチラシを見たりするのが好きでしたので、やはりそういう志向は持っていたのだろうと思います。また、企業理念である「都市環境創造企業」に魅かれたことも大きかったですね。自分の中に眠っている何かが動かされた気がします。
入社。そして、現場へ・・・
株式会社長谷工コーポレーションに入社。配属されたのは、マンション建築現場です。現場工事管理者の仕事で、新入社員でもベテランの職人さんを指導しなくてはなりません。私は、「若い身でも言うべきところは・・」と考えていたので、職人さんとぶつかることも多々ありました。喧嘩もありましたね。鉄筋を持った職人さんに追いかけられたこともありますよ。そこでの経験で、精神的にタフになりました。育まれた反骨精神で、「やはり設計の仕事がしたい」と、設計部門への異動の試験に挑戦し始めました。
にほ
念願の設計へ。そして試行錯誤の日々・・・
試験に合格し、設計部門へ異動。構造設計(建物の骨組み設計など)に配属されました。設計の仕事は、周りの仕事に合わせないといけない現場と違い、基本的に一人で進めるものです。自分のペースで目の前の課題に集中できる。最初は、こういう仕事が向いているのかなぁとも感じました。
しかし次第に、一人でもくもくとデスクワークをするのが物足りなくなってきました。意匠設計(内装デザイン設計など)は、現場に出てお客様と話す場面がありますが、構造設計にはありません。お客様とやりとりをしながらプロジェクトを進める表舞台に立ちたいと考え始めました。
バブル崩壊で、日本の多くの企業が苦しんだように、会社の経営状況が厳しくなり、かつての活気がなくなってきました。上司にシステム提案などをしても、聞き入れてもらえず、私自身、会社に面白味を見つけることが出来なくなっていました。このままではいけないと考えるようになったのは、ちょうど30歳の頃です。それまでに1級建築士の資格は持っていましたので、そういった資格を活かして独立し、個人事務所を設立しようと思い始めました。仕事中心の生活を一変させ、夜7時くらいには退社し、自宅で勉強したり専門学校に通ったりする日々。宅建(宅地建物取引主任者)・土地家屋調査士の資格取得。独立に向け準備を進めていきました。
この頃、現場で設計内容を確認する設計監理部門に異動になった。意匠系のことなども見ることになり、仕事の全体像が見えるように。独立して仕事を進めるイメージができてきた。 |
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さんぽ
1級建築士事務所設立へ・・・
35歳で念願の独立。1級建築士事務所の看板を上げました。仕事につなげようといくつかの資格を取得しておりましたが、資格があっても仕事はこないんですよね。最初の5年くらいは、前職の下請けとして、構造設計の仕事をやりました。自分をよく知ってくれている元上司だからご依頼いただけたと思います。外注業者というのは、当然ながら絶対に失敗の許されない厳しいもの。「なんでやめたんやろう・・」と考えてしまうこともありました。自分から動いていかなければ、何も進まないわけで、自分のやりたいことを形にしていこうと、人脈を広げることを心がけていきました。
E's スタイル オープン・・・
39歳。転機の年になりました。社名変更した父親の会社であるイマイクリエイト株式会社に入社。自分のしたい仕事をやり始めました。E's スタイル(*)を打ち出し、E's ビル(*photo1) 設計・建築・運営。私自身が、勉強しながら設計し建築することができました。拠点ができたことで、やりたいことが絵となり、どんどん増えていったように感じます。
住宅設計・リフォームの仕事で、商談の場となったE's カフェ(*photo2)で、お客様に「この部屋をこのまま作って!」と言っていただけたときは嬉しかったですね。お客様といっしょに、「家・空間」を作り上げることを大切にしています。塗り壁教室の工房を持っており、ご希望があれば、実際の現場でお客様と共に、壁塗りの作業をすることもありますよ。ある時は、お客様ご家族といっしょに、作業の合間にお弁当をいただき、新しい「家」を作りあげる過程を、共に味わい本当に温かい気持ちになれました。E's ホールは、様々なイベントやカルチャー教室にご利用いただいております。高校同窓生で音楽コンサートを開いたこともあります。人が集うことで新しい何かが始まる。アイディアをいただくことも多く、私の仕事のエネルギーの源でもありますね。
*photo1 |
*photo2 |
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イーズカフェ http://www.es-cafe.jp (*)E's スタイルのEは、Enjoyable(楽しい)、Emotional(ワクワクした)、Exchange(交流)といったキーワードを指し、こどもから大人まで楽しくわくわくできるようなライフスタイルの提案を通して、多くの人に心地よい暮らしを提供します。E'sカフェは、野菜中心のメニュー。できるだけ自然栽培や有機栽培・無添加のものを使用しています。 |
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私は「車麩の味噌カツごはん」をいただいた。おいしかった!(BY池松) |
そして、今・・
3年前に、ルームスファクトリー株式会社を設立。E's スタイル を発展させ、ライフスタイルプロデューサーとして、箱作りだけではなく「ライフスタイルを作りたい」と考えています。「共感する暮らしで日本を結ぶ」この思いを、点から線、そして面へと広げていきたいですね。今後は、SNSなどを使って、いい暮らしづくりの「住まいのコーディネイトサイト」を手掛けたいです。
20代のみなさんへ
やりたいことに気づいてもらいたいですね。若い人からの相談で、「やりたいことがわからない」というのが多いです。何かに出会っても、気づく人・気づかない人がいるように感じます。では、どうすれば気づくのか。経験値を上げることです。若い人にはとにかく経験を積んでもらいたい。さまざまな経験の中で、「視野を広げ、感度のいいアンテナを立てる」。そうすれば、気づきは、必然の流れでやってきます。悩んでいる人には、「気づくような場所に行け」と言いたい。人と接していく中で、ぽっと気づくわけです。
未来は、経験が見せてくれるものです。そして、それが見えたら、「見続けること」。難しく、挑戦しがいのある、最も大事なことですね。
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インタビューの最後に、 「人生っておもしろいよな」と。 |
「未来を見る」「つながる」「感謝」・・・「こころざし」の人
「未来を見るって、楽しい」「おもしろいこと、やりたいことを考え続ける自分でいたい」。そう語る今井氏。彼の若々しい雰囲気は、外見からくるものだけではなく、常に日々をポジティブに生きているからこそなのだろう。今は、「夢」を「目標」にすべく、資金やリソースをどう充当するか、時間管理も含め練り上げているとのこと。これって、まさにキャリアデザインだ。私が学生たちに伝えていることは、こうして第一線で活躍する仕事人も実践していること。私自身の背中を押してもらったようで、何だか嬉しかった。
今井氏からは、何度も「つながる」というフレーズが出てきた。「つながることで、一人では難しいことも形にしていける」「つながることで、新しい共感を生み出せる」・・・いろいろなところでも耳にする「つながる」。ある大学のキャッチフレーズでもある。私自身、藤原和博氏著作の《つなげる力》はおもしろく読んだ。この言葉の重さをひしひしと感じている。先の見えない現代のキーワードであることは間違いない。
今井氏は、独立して試行錯誤の日々が続いたころ、毎朝会社のトイレ掃除をしていたそうだ。「感謝、感謝・・・」とつぶやきながら。失敗があっても、手厳しいことを言われても、それはすべて、次なる一歩へつながると考え、「感謝の思いを持つようにしている」と語る。
「骨のある人だ」。話を伺って、私がまず感じたのがこれだ。きっと高校時代から彼はそうだったに違いない。そして次に見えたのが、「こころざし」。人を突き動かすのって、これしかないのだと思う。人生の航海の舵を切らせるもの。「こころざし」。私も、しっかり握って生きていきたい。